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ジャック・ルネ・シラク共和国前大統領逝去

2019926232356.jpg9月26日、第22代フランス大統領(第五共和政)ジャック・ルネ・シラク氏86歳にて逝去の報に接し、心より哀悼の意を表します。

氏は親日家としても知られており、訪日の際は妻ベルナデット・ショルドン・ド・クルセルと伊豆は修善寺のあさば旅館に度々投宿したものだ。温泉と日本庭園をこよなく愛していた。また万葉集を読み遠藤周作の愛読者でもあった。あれはたしか2002~03年頃だったか、件のあさば旅館からの急な依頼を受け、ユーロアールから食材を送った覚えもある。

小生脳内における対仏国記憶は、近年では小生のチーズ武者修行を受け入れてくれた国であり、幕末には薩長側に英国フリーメイソン、幕府側に仏国フリーメイソンが付き、資金と武器を手渡した日本人同士に殺し合いをさせた国であるが、まあそれは置いておくとしよう。

さてフランスの共和政と云う政治体系はまことに複雑で、ルイ・ナポレオン・ボナパルト、いやそれ以前の16世紀の話まで遡るとさらにわけが分からなくなるので、ここでは近代の第五共和政(1958年~)の範疇でのかおぶれを考察。

○シャルル・ド・ゴール(1959~1969)、○ジョルジュ・ポンピドゥー(1969~1974)、○ヴァレリー・ジスカール・デスタン(1974~1981)、○フランソワ・ミッテラン(1981~1995)、○ジャック・ルネ・シラク(1995~2007)、それ以後はまとめてサルコジ、オランド、マクロン(現在)となるわけだ・・・。

小生の主観だが、共和国大統領は「かっこよく」なければならないw 立ち居振る舞いもさることながら多岐に渡る教養、更には料理やワインに精通していなくてはいけない。その意味で秀でていたのはやはりミッテランではなかろうか。日本の皇室は賓客に序列を付けないことで知られるが、かの国は露骨にメッセージを送(贈)る。その昔就任したてのロックフェラーの申し子ビル・クリントン公式訪問時のこと。エリゼ宮総料理長はいつものようにワインと晩餐会メニューの組み合わせを三択で大統領に提示する。三択とは「アー、ベー、セー」なのか「松、竹、梅」なのかは知らんが、その時のミッテランの「ヤツにはまだ早い」の一言がすべてを物語っていた。クリントン本人と随行員がどこまでそのメッセージを理解できたかは、知らん。また雨に煙る墓地でのミッテラン埋葬時、本妻と娘の傍らに喪に服す愛人の姿があったが、メディアを含め誰一人いぶかる者はいなかった・・・FIN

余談だが、そのエリゼ宮が「三択」をしない賓客が僅か2例だけある。あまり知られてはいないが、それは英国のエリザベス女王と日本の天皇である。

まあ多くの理由から、小生が本心から「フランス共和国の大統領」と呼べるのは、ジャック・ルネ・シラク、あなたが最後でした。どうか安らかにお休みください。お疲れさまでした。そしてまた修善寺の旅館にもお立ち寄りください。R.I.P.

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